誰かの前で酷い失敗をしてしまうことがある。
微妙な空気や苦笑い、照れ笑いで場が満ちる、あの瞬間がたまらなく苦痛だ。
綿矢りさに言わせれば、そういう類の失敗は「愛嬌がなく、みじめに泥臭く、見ている方の人間をぎゅっと真面目にさせる」のだ。
だけど、そんな失敗をして、あるいは思い出して、恥ずかしい、かっこ悪い、もう消えたいと思う時。
私が決まって呟く言葉がある。
「でもきっとこの人も、私のことを忘れる」
これが謙遜でも思い込みでもないからこそ、私は楽になれる。
人は忘れる生き物なのだ。
小学校の時のクラスメイトや塾の先生、習い事の友達。私はもうちっとも思い出せない。
だからきっと私のこともほとんどの人が忘れている。
だけど、それが救いでもある。
人に忘れられるということは案外心地よい。
みんなが私の活躍や、爆笑をさらった発言や、優しさを覚えているということは、
私のみじめに泥臭い失敗や、思い上がった発言や、意地悪がいつまでも覚えられているということだから。
誰かの記憶にずっと残り続けることは、幸福な呪いなのだろう。
私は自分のことを忘れてほしい。
私を思い出して微笑む人がいなくていいから、私を思い出す度に顔をしかめる人がいないでほしい。
それでも、私をいつまでも覚えている人、私が死んだら悲しんでくれる人もやっぱり居てほしくて、
そんな何人かがすぐに思い浮かぶ私はとても幸せなんだと思う。
それで十分だ。
だから、人の目が気になって動けない人は思い出して欲しい。
自分がいつか忘れるような人のことを気にしなくて大丈夫。
その人たちは、いつかあなたのことを忘れるから。